遠諱法要厳修のご報告

遠諱法要厳修のご報告

去る令和元年10月23日、当山開山勅諡大機妙用禅師三百五十年遠諱および
当山第十五世中興純道圭和尚五十年諱を厳修致しましたので、ご報告申し上げます。

遠諱(おんき)について

「遠諱」とは歴代住職方の遺徳を偲んで執り行う五十年に一度の法要を言い、在家で言う年回法要・御法事に当たります。今回厳修した当山遠諱は、当山(寒山寺)を開かれた大機妙用禅師と先々代(第十五世)住職純道和尚の法要になります。


遠諱法要について

昨年10月23日、開山禅師三百五十年、先々代純道和尚五十年の御遠諱法要を厳修させて頂きました。

今回、法要を行いました開山禅師及び純道和尚は、歴代住職の中でも、
特に苦心を重ねられ寒山寺の護持に務められました。

開山禅師は滋賀県膳所に寒山寺を開創した直後、
膳所藩主石河候の移封に伴い、大坂城下にその居を移されました。
新寺開山と移転という二つの大事業には相当のご苦労があったことは想像に難くありません。

大坂城下、現在の大阪市北区兎我野町において江戸、明治、大正、昭和四十年代まで三百年余り、
禅の教化に勤めてまいりましたが、その礎を築かれたのが開山様であります。

寒山寺は前回の大阪万博による都市計画整備に伴う新御堂筋建設により、寺地が計画地に重なったため、
再び移転を余儀なくされました。この事業を成し遂げられたのが、純道和尚です。
新御堂筋開通が昭和四十四年になり、寒山寺移転もその頃のことと聞き及んでいます。

移転後も本堂を建設するなど、現在の寒山寺を形作られることに尽力されました。
移転後、数年にて残念ながら純道和尚は亡くなられます。
喜寿を超えられてからの移転事業は、高齢の純道和尚には過酷な事業であったことは言うまでもなく、
寒山寺移転に全ての力を注がれて生涯を終えられたと言っても過言ではないでしょう。

このお二人のご遺徳を偲ぶ法要を、皆様のご協力のもと、
今回挙行出来たことは、住職として誠に法幸であると感じています。
と同時に、五十年後、百年後と同じように遠諱法要を行うことの出来るよう、
寒山寺の護持と教化に努めなければならないと改めて身の引き締まる思いでおります。

寒山寺第十七世 尚純識


開山像修復について

開山像

今回、篤信の一檀信徒様のご寄付により、開山様の木製像及び台座を修復させていただきました。開山像は、江戸時代の製作と伝わっています。

寒山寺はその歴史上、古くは大塩平八郎の乱、近年では第二次世界大戦にて、本堂などが焼失しました。先の大戦時には、大空襲の最中、当時の住職が木像を井戸に避難させ、難を逃れたと聞き及んでいます。

このように戦火をくぐり抜け、歴代住職が命を懸けて守り続けたお像ですが、経年とともに痛みと汚れが激しくなっていましたので、三百五十年諱に際し、株式会社越前屋様に修復を依頼しました。

今回の修復作業は、越前屋様の職人方がその技術の粋を尽くし、時代感を残しながらも、在りし日を彷彿とさせるお姿へと見事に仕上げて頂きました。


打ち合わせと当日の様子


新聞掲載

中外日報 令和元年11月1日発行分 中外日報 令和2年1月1日発行分

中外日報に掲載されました。

宗教界の最新ニュースを取り扱う新聞『中外日報』の令和元年11月1日発行分(左)と令和2年1月1日発行分(右)に、当日の様子が掲載されました。